今更ながら、ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』を観た。
結果、心を小さく負傷した。
ここ数十年斜に構えていた私は、ディズニー作品にはほとんど興味を持っていなかった。記憶の中での最新作は『ファインディング・ニモ(2003)』。
本当に長い厨二病だ。
観ようと思ったキッカケは、ラプンツェルにどハマり中の知人と共にディズニーシーへ行く予定が出来たから。
一応ヲタクの端くれなので、”履修”という言葉が大好きだ。原作を観ずしてアトラクションへ乗り込むのはやはり少し気持ちが悪い。
ちなみにラプンツェルを要約すると
特殊能力を自身の髪に宿す女の子が、その力を欲する魔女に18年程幽閉され偽の母娘として暮らしていた所、なんやかんやあって生まれて初めて外へ出て大冒険する話だ。髪に宿った力を利用されているせいで切ることが出来ず、異様に髪が長い。
という感じ。
鑑賞後の感想としては、
『・・・え??? こんなにあっさりゴーテル捨てられるの???』だ。
ゴーテルは、ラプンツェルの母親で、正体はを彼女を騙して幽閉していた魔女。
外へ出たがるラプンツェルを言葉巧みに脅し説き伏せ、私欲の為に少女の18年を奪っためちゃくちゃに悪い奴。
なんだが。
なんだが!!!!!!
”ゴーテルの正体が自分を騙し続けた魔女だと知ったラプンツェルは、彼女を糾弾”
”そして最後に、ラプンツェルの能力が解けたゴーテルは、塔から落ち灰となって消えてしまう”
ここまでの流れが光の速さで過ぎて行き、呆気に取られてしまった。
毒親とはいえ、18年間共に過ごした母親(仮)を捨て、ほぼほぼ初めましてみたいな実の両親へ心を切り替えられるものなの?
前を向き過ぎだろ、ラプンツェル!!!
正直、真実へ辿り着いた後に、ゴーテルへの捨て切れない情との狭間で苦悩するラプンツェルが見られるのだと思って楽しみにしていた。鬱アニメを観すぎた弊害である。やはりディズニーは良い。大変ポジティブだ。
親子と言えば、児童養護施設で働いていた友人が以前このように言っていたのを思い出した。
「家庭で辛い思いをしてる子達をその環境から隔離し、どんなに愛情を注いで心を溶かしたと思っても、一時帰宅した瞬間に全て元通りになってしまう」「自分達が頑張ってもその子を捨てた親や虐待した親にすら敵わないし、子供達はそんな親でも大好きなんだ」と。(昔の事なので、雰囲気のみ抽出)
最近話題の上等な恋愛リアリティショーで見かけた被虐児育ちの出演者が、「子供の愛の方が無条件なんだ」といった旨の発言をしていたのも印象的だった。
それほどまでに親という存在は呪いの様に、大きくなった子の心にも複雑に深く根付く存在だと思っている。
ここからは少し自分の話になる。
子供の頃、父が仕事から帰宅したタイミングで風呂が沸いていないと罵声を浴びせられたり、沸かした湯が熱すぎると酷く怒鳴られたりもした。特に私の仕事と決まっていたわけでも無い。
希望する進路の話をすると「お前如きが」と言われたかと思えば、家の手伝いで役に立った時には「母さん、産んでおいてよかったな」と言われる。(私が生まれる時母子共に危ない状態だったらしく、選択を迫られたらしい)
それでも、リタイアして暇なカラオケ好きの父から東京のカラオケに行ってみたいと言われれば「パセラに連れて行ってあげたいな」と考えたり、舞台を観てみたいと言われれば初心者でも楽しめそうな演目やアクセスの良い劇場を探したりしている。
就職して暫くしたタイミングで、人から聞いた海外旅行のプランがとてもお得で素敵だったので「ツアーでこれくらいの金額で行けるんだって〜良いよね〜」と嬉々として母に伝えた所、反応も無く無言だったので不思議に思っていると、「どうせ(多分金銭的に?)行けもしない癖に」と吐き捨てられた事がある。
それでも、「まだ一度も海外に行った事の無い母を何処かに連れて行ってあげたいな、難しそうなら国内で楽しめる場所はあるかな?」と身体的に負担の少なそうな場所を探し色々と計画するのだ。
何か素敵な経験をする度に親の顔が浮かび、「共有したいな」と思ってしまう。
「今まで沢山傷付けられたのに」
と、
「せっかくの残りの人生楽しんで欲しい」
が交互に押し寄せる。
決してどちらにも割り切れないのだ。
そしてここまで書いて初めて気が付いた。
私は、ラプンツェルが羨ましかったのかもしれない。

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